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工業デザインの練習帳

1988年生まれの工業デザイナー秋山慶太のブログです。

"インターネットは最高"トークショー再録

考えごと デザイン

 

2年前のちょうど今ごろ、初めての個展「想像力の部屋」を、大阪茨木のグランファブリックさんで開催した。会期は3週間で、週末ごとにゲストをお呼びしてトークショーをやってみた。全三回で、けっこう好評だったんです。

「インターネットと創作」「インハウスデザイナーとしての創作」「Fabberとしての創作」について聞くため、それぞれの分野の専門家に話を聴いた。

 

その原稿はプライベートワークの作品集(お蔵入りになった)に掲載したり、ネットプリントのZINEとして配布したりしたのだが、かなり量もあり、このまま眠らせておくのももったいないなということで、この度こっそりブログに再録いたしました。

 

連続トークショー「想像力の談話室」vol.1

第一回「インターネットは最高」ゲスト:はりー / hima:kawagoe

 

f:id:keita_ak:20170302204027j:plain

 

 

 

秋山   今日は、ゲストにはりーさん(@hurry1116)とhima://さん@ekimae)をお呼びしています。TwitterFacebookでも告知させて頂いていたのですが、今日のタイトルは「インターネットは最高」です。

このタイトルは、はりーさんが自分のTwitterの固定ツイートに「今年もインターネットが最高でありますように」っていうものをされていて。

 

はりー  「今年もインターネットが最高でありますように」。

 

秋山  これはいいわ、もらっちゃえということで、勝手に頂いてしまったものです。僕は、家庭用品のメーカーでものの形をデザインするという仕事をしているのですが、会社のために製品をデザインするということと、自分の想像力をはたらかせて作るものとはやっぱり性質が違うなと思います。

hima://さんは、イラストを描いたり、MEMEOというアクセサリーをデザインしたり。はりーさんもイラストを描いて、スカーフ、ハンカチーフなども作られているんですよね。そんな作品を通して、お二人の「魅力のつくりかた」についてお尋ねしたいです。

また、お二人の作品の魅力が、人格というか…人となりにめっちゃ密接に結びついていること、それがすごいところ、いいところだなあと思います。そこについても訊きたいなと思い、今日のトークを企画いたしました。

 

インターネットと「もの」

 

秋山  今日は3つのキーワードを用意しています。

一つめは、「なぜインターネット上で『もの』を作るのか?」。イラストレーションやアニメーション、音楽とかは、すごくネットと親和性があるメディアだと思うんです。すぐ拡散できるし、より多くの人に見てもらえる。その中であえて「物体」というか、直接手渡するなり、郵送するなりしないといけない「もの」をなぜ作ろうと思ったのか。

 

次に、「ネット上では、ものを媒介になにがやりとりされているのか?」。ネット上の作家さんからものを買うっていうのは、お店にいってものを買うことと、またちょっと違うかなって気もするんですよね。作家さんと話をして、その体験プラスものも手に入る。そのコミュニケーションが、めちゃめちゃ新しい。好きだなと思うんですね。

 

それから、これは今日の朝からずっと話していた、一番激アツなテーマかと思うのですが、「自分自身を強くものに反映させるのはなぜ?」ということ。また、それをどうしてやるようになったのかを、3人でざっくばらんに話していければなと思ってます。

順番が前後しちゃって申し訳ないんですが、hima://さん、自分の作品のことを、自己紹介も兼ねて喋って頂けますか?

 

hima://  hima://KAWAGOEと申します。元々はイラストを描いていたんですけど、瞳のアクセサリー「MEMEO」を作ったところ人気が出て、もうイラストはやらなくてもいいんじゃないかと思って、ブランドを立ち上げて「イラストレーションを基盤にイメージをしながらものを作る」ということを、今はメインにしています。自分のやりたいことをやりたいだけ、やってます。

 

秋山  これで利益が出るっていうところまでいってるわけですよね。

 

hima://  そうですね、沢山の人に迷惑をかけて、今年からやっと食べられるようになりました。

 

秋山  すごい!サラリーマン的には、それがめっちゃすごいと思います。その「MEMEO」が、一番最初に作ったものなんですよね?

 

hima://  一番最初に作ったものはこの「ゲロT」ですね。嘔吐をモチーフにしたTシャツ。これ(スライド)はそれをイラストにしたものなんですが。

裏があるようなものを出来る限りポップに、みたいなものを作ろうとして、「性的殺意」というブランドを作ったんです。MEMEOは、イラストの瞳が特徴的だと言われ始めて、それを真に受けて…。

というのは本当は嘘で。

 

秋山  (笑)

 

hima://  つけまつげを間違えて買っちゃって、それをリサイクルするために始めたものなんです。レジンを使ったものも流行ってるしという感じで。で、写真を上手く撮りすぎたせいですごい拡散されてしまって、「あっ、まいったな…」と。

 

秋山  hima://さんのブログをさかのぼって行くと、「めっちゃバズってしまって、対応が全然追いつかない」みたいな話が載ってましたよね。嬉しい悲鳴みたいな。

 

hima://  全然嬉しくなくて!10個くらいのつもりで、価格をすっごい安くしちゃったんです。そしたら100件。海外からも来てしまって、結局さばくのに半年から一年位かかってしまって。

 

秋山  それが初代で、今は二代目ですか。

 

hima://  二代目ですね。

 

秋山  一番最初にMEMEOを発表したのはpixivなんでしたっけ?

 

hima://  そうです。pixivに、何の気なしに「ものだけど大丈夫かなあ…」みたいな気持ちで投稿したんですけど。

デイリーランキングで一位になっていたりしてたらしくって。

 

秋山  ええー! すごい!

 

hima://  そこからTumblrで拡散されたみたいんなんですけど。当時、pixivを見て自分の評価を決めていないつもりだったんです。そう思って毎日見てたんですが、ランキングを見た時に、「ああ、私は気づかないうちにpixivに合わせてたんだな」と。で、もうやめようみたいな。その一週間後くらいにpixivをやめて、Tumblrに。

 

秋山  今はもうpixivのアカウントはないんでしたっけ。

 

hima://  ないです。

 

秋山  じゃあ、webページも自己紹介ついでに。シャレオツなやつがありますね。ここに展示のトークのお知らせも書いてもらってて。本当にいろんなことをやってるんですよね。音楽ジャケットを作ったりとか、MEMEOもやったり。桑沢デザインを卒業されてから、いきなりフリーになられて、今4年目でしたっけ。3年目?

 

hima://  3年経ちました。たぶん…。あんまり覚えてないんですけど、たぶんそんな感じだったと思います。

 

秋山  やっぱり去年ぐらいですか?手応えが来た!っていうのは。

 

hima://  そうですね。3月13日(注:2015年の3月)から「キモチFeel so good」という個展をやるんです。これが貳なんですけど…同じ所で、第一回を去年2月のバレンタインあたりにやりまして。ギャラリーの場所が秋山さんとあけたらしろめさんのやられてたところで、そこがすごい良くて。そこで今の基盤になるようなものを沢山出したところいろんな出会いがあり、それを今年はちゃんとしていきたいと思う所存です。(笑)

 

秋山  なるほど。(笑)

では、引き続きはりーさんの紹介です。そもそも僕がはりーさんと知り合いになったのが去年の年末で、直接会うのが3回目です。なんですが、制作に対する取り組み方というか、興味の方向がすごくウマが合って。はりーさんは、Twitterがめちゃめちゃ面白いんですよね。もしかして、今日来られている方ははりーさんのファンがいるんじゃないかと思っているのですが。…タイムラインを出してみてもいいですか?

 

はりー  どうぞ。

 

秋山  これですね。(会場のスライドにはりーさんのTLが表示される)Twitterを見てみると、今日の行動がもう丸わかりになりますね。

 

はりー  実況中継してました。(笑)

 

秋山  お昼カンテで食べてましたね。で、なんというか、はりーさんのすごいところって、自身の作品とかもそうなんですけど、ちょっとした日々のコーディネートだとか自身の言葉みたいなところも含めて、はりーさん自体がインターネット上のコンテンツになっているようなところがあるんです。単なるイラストレーターではなく、テキストレーターと名乗ってらっしゃるその通りですね。それがえらい面白いなあと思って、その感じを訊きたいなあと。だって、この詩とかすごい綺麗なんすよ! 僕がこれをやったらすごい恥ずかしい感じになっちゃうと思うんですけど、すごくキマっているというか。

フランスに一週間ぐらい出張されていたんですよね?

 

はりー  あ、そうです。

 

秋山  で、その間に、パリのヤバい人々みたいな「ぱりー日記」を描かれていたりとか。非常に気になる存在にいきなりなってしまって。インターネット上に、自分の絵であるとか言葉であるとかを出していこうっていうのは、どれぐらい前から始められたんですか?

 

はりー  短歌を、二年くらい前から書いているんですけど、それから結構絵を載せるようになって。「短歌とさし絵」っていうのをやっているんですけれども。短歌を書いて、自分でさし絵をつけて。短歌だけでも分からないし、さし絵だけでもちょっと分からない。相互作用みたいなものをやりたいなあと思って投稿しています。

 

秋山  やっぱり、活動のベースはTwitterですか? webページも持ってらっしゃるし、Tumblrもやっていますよね。

 

はりー  そうですね。私は、「mon・you・moyo」(もんようもよう)というオリジナルのテキスタイルブランドをこの前からやっていて、スカーフとか、短歌のハンカチーフ「タンカチーフ」っていうものを作ったりしているんですけれど。

「mon」がフランス語で「私の」という意味、「you」は英語で「あなた」、「moyo」がスワヒリ語で「魂」っていう意味があるんですが、「わたしのあなた、そのたましい」という名前のブランドです。

女の子に、好きな人を身も心も手に入れてほしい、というという気持ちで作っているブランドなんですけれども、すごく強い、デモニッシュな魅力がある女の子が、強いんだけど、淋しくなって涙を流す時に、その涙を拭かせてほしいというつもりでやっているブランドです。

その「女の子」というのが、私がTwitterで見ている人を対象にしていることが多くって。

 

秋山  あ、そうなんですね。

 

はりー  そうですね。いろんな人の人生をちらっと見られるじゃないですか、Twitterって。

フォローしている人が462人いるんですけれど、その人たちのつぶやきを見せてもらって、こんなことがあって辛いんだなあとか、こんなことがあって嬉しいんだなあとかいうのを対象にしているので、Twitterがメインですね。

 

秋山  それが面白いなあと思うんです。企業でのものづくりは、言ってみたら「乾いている」というか、「これこれこういう製品を10万個売りたい。市場にはこういうターゲットがいるだろうから、そこに対して、こんな製品を企画しました」ということをするんですが、お二人とも、それを自分の身の回りでやっているなと感じるんですね。それが自分の身の回りを超えて、すごくいろんな人達に受けているっていう。はりーさんなんか、去年フォローした時にはフォロワーが6千人ぐらいだったと思うんですけど、今や1万人くらいになっててなんだこれ! とか思うんですけど。それこそご自分でおっしゃってましたが、「デモニッシュ(悪魔的な)」っていう、わけのわからない魅力みたいなものを感じるんですよね。口で説明できないもの。

 

デザインとかやってると、「自分のデザインはこういうお客さんに受けるはずの、こんなデザインですよ」ということを説明できるものが良しとされるんですけど、それだけではない、もっと個人的な衝動だったりとかもっとウェットなもの。お二人とお話していたり、自分を顧みても思うんですが、自分の作っているものにどんどん自分が出てきてしまう。で、実際話していると、「こういう原因があって、作ったものはこうなってるんだな」ということがわかってしまうんですよね。それが、めちゃくちゃ面白いなというところなんです。

 

秋山  はりーさんは文章も書いてらっしゃるんですよね。「アパートメント」。

 

はりー  そうですね。いまアパートメントというwebマガジンで、連載を2ヶ月間やらせてもらっていまして。デモニッシュな女の子、日本の民話に登場する、「日本のヤバい女の子」をテーマに、全9回連載させてもらっています。

テーマはなんでもいいよと言われたので、今わたしがモチーフにしているものを改めて説明するいい機会だなと思って、やらせてもらっています。

 

秋山  すごく一貫していますよね。女の子のためにやるっていう。「日本のヤバい女の子」っていうテーマ自体からしてヤバいと思うんですけど。(笑)自分のテーマ選びっていうんじゃないんですが、「何でそうなったか」っていう…。

 

パーソナルからソーシャルへ

 

はりー  多分、いろんな方が経験があると思うんですけど、恋とかクリエイティブっていう分野で、生きてるうちに挫折することがあると思うんですね。挫折した時に、次の人に願いを託すじゃないんですけど…。自分以外の女の子に、強く生きて成功してほしいなあ、っていう。ものをバトンタッチするような意味で、「強い女の子」をテーマにしているのかなあと思います。

 

秋山  そう、それが、むっちゃかっこいいなと思ったんですよね。ある意味で、恐らくはりーさん自身の理想みたいなものも反映されているし、しかもそれが人に伝わっているっていうところがまじリスペクトというところなんですけど。

お二人とも面白いんですよね。Twitterのタイムラインも読み物として読めるし、出ているイラストレーションであったりとか成果物もすごくかわいいし。

これは僕があやかりたいなと思って聞いてみたいことなんですが、「自分の思い」、それこそ挫折したとか、自分の中にあるものっていうのは、本当に個人的じゃないですか。自分ひとりだけのパーソナルなものが、ガッと垣根を超えて誰かにも伝わるものになった、壁を乗り越えた瞬間っていうのは、恐らくお二人にはあったと思うんですよね。hima://さんで言ったら、「MEMEOがバズった」みたいな。そのときのことって覚えてらっしゃいますか?

 

はりー  私はTwitterをメインに活動しているので、総合的にやりとりをするっていうのが一番通じる瞬間だと思うんですけど。なんだろう…(笑)。

 

秋山  (笑)でもやっぱり、自分の知っている人に向けてやっているものなんですよね?

 

はりー  知り合いにだけ向けているっていうわけじゃなくて、例えばなにか絵とか、こういうものを販売しますっていう情報をアップした時に、Favられたりとか、欲しいですって言ってもらったりしたときに、一番「あ、今、見てくれている人と相互作用が起きているのかなあ」って思うんですよね。あとは、あまり分からないです。

 

秋山  hima://さんは、さっきもちょっとお話いただきましたけど、MEMEOがバズったっていうときは、気持ち的には「ヤバい」みたいな?

 

hima://  絵しか描いちゃいけないという固定概念があったっていうことにまずは気づいたのと、それから可能性を感じましたね。自分ができることに制限がないっていうことがわかったので。「性的殺意」っていうブランドは、ちょっと物騒な名前なんですけど、中身はそんなに過激なことをしているブランドでもなくて。

正直、「インターネットは最高」というタイトルではあるんですが、Twitterのメンヘラ文化は大っ嫌いなんで。そういうのにだけは乗っかりたくなくて。

「性的殺意」っていうタイトルだけあれば、あとは何をしてもいいと思っているんですよ。ブランド名とコンセプトは、ものを見てもわからない。でも買った人は、どういう気持ちでこれを作ったかとか、どういう気持ちの時に自分がこれを買ったかとか、わかっているわけじゃないですか。私のTwitterを見てもらえばわかると思うんですけど、性的殺意の意味が…

 

秋山  これですね。最近はこんなステッカーとか、蝶ネクタイとかも作ってるんですね。

 

hima://  蝶ネクタイ、出すんです。今度の個展で。実物の蝶をモチーフにしたものを出します。

 

秋山  なんていうか、それこそ物騒な名前ですよね。最初に見た時に、僕も「ヤバい」と思ってひるんだんですけど、実際に作っているものを見てみると、すごく洗練されているというか。

 

hima://  基本的には「素材」が好きなんです。紙、印刷、それにまつわる技法も好きで。「ものをつくる」ということにおいて、内容とかメッセージ性とかには意味がないと思っているので、だから純粋にプロダクトを楽しんでいるというか。

それで、性的殺意のコンセプトは、「誰にも言えないそんな気持ちがあるならば、こっそりと、ブックカバーの裏側に隠せばいい。そして堂々と、電車の中で読めばいい。そうとも知らない連中に、自分の『性的殺意』がバレないように。」というものです。まず、「性的殺意」という衝動がわかってもらってることを前提にしているんですけど… 女性でも、男性でも、私は共感してもらえると思ってるんですが、そういう「殺したいくらい好き」みたいな、衝動的な気持ち…。でも、いろんなときにこういうのってあって。

 

バンドやってたんですよ。ギター弾いて、男とか女とかじゃない時にもそういう衝動はあったし。そういうのって、人に向けるとすごい嫌がられるじゃないですか。傷つけるし。でも、そういう自分の気持を、ものに転化する。ものにその人だけの意味を持たせる「余白」を持たせたいなと思って。私の「性的殺意」というブランドは、さっきの話のブックカバーであって、堂々と、そこに自分で意味を見つけて読んでほしいっていう。

コンセプトがあるから、自由にプロダクトできるんで。楽というか…私の気持ちのはけ口でもあり、人の気持ちの器にもなりたいみたいな。

 

秋山  hima://さんはイラストも描かれてますが、イラストレーションでも、自分のものにコンセプトを作って発表していくっていうのも不可能ではないわけじゃないですか。僕の場合は、学校で工業デザインの勉強をして、そのまま会社員になってものづくりをやってるところなんですけど、イラストレーションとか平面的なところから、「もの」を作ろうというきっかけは何だったのでしょうか?

 

hima://  絵は、もう絶対に誰からも侵略されたくなかったんです。誰からも、の気持ちに対しての余白を感じさせない方的なものでありたいと思ったし、「わかりやすくしてくれ」とか、それに注文をつけられるのも嫌だったんで…

でも、私はとにかくその「一方的さ」が嫌になったのがきっかけです。

 

秋山  「もの」っていうのは、さっきもおっしゃっていたようにある程度余白がある、相手に使ってもらうものじゃないですか。身につけるとか…。それが良かったんでしょうか。

 

hima://  絵はRGBが一番綺麗なんですよ。既にRGBで完成されてるんで、ある意味インターネット上で見るのが一番綺麗なんです。だけど「もの」は違うし…。

インターネットでものを作れるようになったというのは、インフラが完璧になったからだと思ってて。インターネットが誰でも使えるというのは、ある意味インターネットが「ない」のと同じなんですね。

 

インターネットは最高なんかじゃない

 

秋山  インターネットが使える人が使えない人より優位に立っているということではなく、全員が当たり前に使える状態。

 

hima://  そうです。だから、インターネットがあることが当たり前になればなるほど、「その場」に行くことの意味が増しているというか、価値が上がっていると私は考えていて。なので、インターネットの恩恵を受けている上で、ここに来たというか。(笑)

 

秋山  ありがとうございます。(笑)

 

hima://  現場主義に、逆になりました。「もの」はやっぱり触らなきゃ分からないし…。

 

秋山  あっ、すごい!今の一言でいきなりテンション上がっちゃったんですけど…(笑)

 

hima://  やったあ(笑)はりーさんはどうなんですか?

 

秋山  はりーさんも、テキストとイラストでもう充分魅力的なのに、手に取れる「もの」にしたのは何でなんだ?っていう。

 

はりー  私は多分、hima://さんと全然真逆であって、ある意味では完全に一緒なんですけど。「インターネットは最高」とは言っているけど、やっぱりあまり…あまりというか、全く信用していない。インターネットで発信している私の絵に、金銭的価値は一切ないと思っていて。金銭的価値というか、大事にする価値が全くない。例えば、よくインターネットで起こる問題として、絵を勝手にアイコンに使われたり、転載されたり…というのがあるじゃないですか。語弊があるかもしれないですが、ああいうのにあまり問題を感じていなくて、使ってもらうことに抵抗がないし、それで損害を受けるという感覚がない。なぜかというと、それを「もの」としてやりとりするつもりが全然なくて、普通に喋ってるのと同じ。

秋山  絵自体がTwitterでいうところの「つぶやき」と同じ。

 

はりー  そうですね、文字も、絵も。だからテキストレーターという肩書きを考えたんですけど。テキストも、イラストレーションも、テキスタイルも、一緒というか。最終的に「もの」にたどり着きたいとという気持ちがあるから、web上の自分の絵とかテキストにあまり価値がないと思っているんです。手もとに自分の作った「もの」を持っておいてもらうというのが一番価値があるんじゃないかな、と。例えばこの(Instagramで加工してTwitterにpostした)写真を撮るのと、短歌を書いてさし絵を描くのとでは全然労力が違うんですけど、出来上がったアウトプットの価値は同じだと思っています。「もの」を届けるということは、「もの」を買って頂かないといけないのですが、「もの」を買ってもらって手もとに置いておいてもらうというのが、すごく嬉しくて。

 

秋山  存在として強いですよね。

 

はりー  はい。…というのも、死ぬのがめっちゃ怖いんですよ。死ぬのが凄く怖くて、「死ぬのなんて怖くないよ」という人がたまにいるじゃないですか。そういう人に考え方を教えてもらったりもするんですけど、何回話を聞いてもやっぱり怖くて。絶対に死にたくないし、誰よりも長生きしたい。それがなぜなのか考えたときに、私が「いた」ということがなくなるのが怖いのかも、と思って。

折角こうしてお話したり、Twitterで色んな人と知り合いになったりして得たインスピレーションや認識がなくなるのが怖い。作った「もの」を手もとに置いておいて貰ったら、その人のところに分身が残るというのが凄くありがたいと思います…重いんですけど。(笑)買ってくださった方はそんな重い気持ちじゃないかもしれないですが…。あっ、死んだらWikipediaに載りたいです。

 

秋山  自分の生きた証拠を残すために。

 

はりー  その究極の形が「買ってくれた方の頭の中のWikipediaに載る」みたいな。

 

秋山  Wikipediaで検索したら「はりー」って出てくるのではなく?

 

はりー  それも是非そうなりたいです。(笑)なので、インターネットは手もとに私の存在を残してくれる人と出会うツールだと思っています。

 

秋山  これすごく羨ましいと思うんですが、Twitterにはりーさんからものを買った人のコメントが載っています。

 

「はりーさんこんばんは。購入した絵が無事に届きました。今この絵を飾るために一生懸命部屋を掃除しています。この絵が似合う部屋になるよう頑張ります」

…というような。これ、すごく良いなと思うんですよね。僕はこの前炊飯器を作って出したんですが、メーカーで仕事をしていたらこんな良いコメントを直接は貰えないですよ。両者の性質が違うので比べられないですが。でもはりーさんがものを買っている人はコミュニケーション込みで買っているし、hima://さんがさっきおっしゃった「現場主義」にも通じると思うんですが、一瞬で消えていくインターネット上の発信から精製したエッセンスを手もとに届けてもらうというのはすごく良いことだなと…。インターネットっぽい言葉づかいで言うと、良さの強さがある。…良さって言いますよね?(笑)

 

はりー  良さって言いますね(笑)

 

秋山  「現場主義」と言えば、東京のネットレーベル「マルチネレコーズ」というのがあります。元々は自分たちのベッドルームで作った音楽をインターネットで発信するというのをやっていたんだけど、インターネットを飛び出してクラブでイベントを企画しよう、やはりリアルが楽しい!という。僕たち以上の世代の人って、リアルでやっている物事をプロモーションするためにインターネットを使うというイメージなのですが、それより若い世代の人は初めからインターネットで活動していて、それが面白くなってきたからリアルでもやろう!と、逆になっているんですよね。そのちょうど端境期が僕らの年代なのかなと思っています

バーチャルな世界で写真とかテキストでやりとりしているものと、実際に壁があって床がある世界の捉え方が世代の上下によって全然違いますね。それも面白い。インターネットから入ってリアルに落とし込むというのは、どうしてそうなったんだろう。

僕は割と旧世代的な考え方なので、先に自分で作ったものがあってそれをアピールする手段がインターネットだった。インターネットなら展示をするよりたくさんの人に見てもらえるし、良いなと。でもインターネットの知り合いが増えてくると、どうも逆らしいぞ?というのが分かってきた。インターネット発→リアルへ、というのが今っぽいんですかねえ。

 

hima://  今っぽすぎますよ。逆に…体感として、10代後半から20代半ばくらいだとそれが主流すぎて私はちょっと辟易してる。

 

秋山  陳腐化してきちゃってる?

 

hima://  私は静岡出身で2010年に上京してきたんですけど、それまでは静岡でずっと活動してました。活動したい、発表したい欲求がずっとあって、12歳からイベントに出始めて、やりたがりというか、家が窮屈だったのもあって、13歳からHTMLを組み始めた。とにかく外へ外へ!という感じで。その時の、2000年ちょっとくらいのインターネットって、今より特別じゃないですか。(笑)会えないと人とか周りにいない人と会うためのツールだった。それと、自分のいる場所…当時自分と同じ志の人が周りにいなかったけど、自分でWebサイトを作れば年齢関係なく人が集まってくるホームが持てる。

全部、外に出るための一旦集合場所だったんです。インターネットで一旦集合して、東京行って、コミケ出て。私にとってインターネットはずっと中継場所です。インターネットも人の集合場所なので、結局はリアルです。インターネットで出来ることで面白いこともあるけど、本当に面白いことをしようとすると何だかんだ言って「集まろう!」ってなりますもん。

 

秋山  僕も二人にラブコールを送らせて貰って、Skypeとかで打ち合わせはしてたけど、実際に会ってみると面白さが全然違ってました。今朝もhima://さんが朝の7時に高速バスで梅田に着いてからずっと三人で喋り続けてました。(笑)やはり実際に相見えて話すというのは全然違いますね。体験が強い。

 

インターネットが変えたもの

 

インターネット発→リアル行きの、その先というのは何か感じますか?その先には何があるんだろう。よく「インターネットが物事を変えた!」と言われますよね。流通とか、人のコミュニケーションの形とか。それはまさしくその通りだと思うけど、世界の見た目が変わった訳ではない。

車が浮かんで走る訳でも、1970年代に思い浮かべられていたように、銀色のぴったりした服を皆が着ている訳でもないし。世界の姿はそのままだけど、インターネットという見えない膜が世界を覆っちゃったことで、世界の質が変わった。この薄い膜はインターネットに限らず、例えば僕と、hima://さんと、はりーさんでは同じ部屋にいても見てる層が全然違う。たくさんあるレイヤーの一つがインターネットで、そこには共振して増幅していく力がある。自分のpostに対して皆がいいね!いいね!と言ってくれる時もあるし、だめ!だめ!と炎上する時もあるし、その力はすごいなと思います。

 

話は変わりますが、僕が二年前に一緒に展示をした「あけたらしろめ」というイラストレーターがいます。インターネットの作法とか、コミュニケーションの仕方を僕は彼から教わりました。(笑)彼は人当たりが良くて、喋りも上手くて、いいヤツなんです。その皆に好かれる力をインターネットに持ち込んでる。

昨日彼が面白いことをしていたんですが、「僕の絵をiPhoneの壁紙にしている人は僕に送ってください」と発信したら皆が「してるよ!」と言って送ってきてくれて。彼はこういうコミュニケーションをインターネット/リアル問わず、ごく自然にやってるんです。僕は大学生の頃から人との距離の取り方があまり得意じゃなかったけど、こんな風に自分の作ったものを「いいね!」と言ってくれる人がいるのが、すごく救いになるし「やるぞ!」という気持ちになる救済装置に思えます。彼にもインターネットにも助けてもらった。僕はインターネットに入ったのが最近なので、その優しい部分しかまだ見えてないと思いますが。

 

ものやイラストを見せて、「いいね!」と言われるだけではなく、言葉としてやり取りするのが通貨みたいだなと思います。インターネットは自分と好きなものの傾向が似ている人に会いやすい。お二人は、インターネットで今までにない人に会えて嬉しかったことはありますか?

 

はりー  逆に、現実の知り合いにすごく嫌われるようになったのですが…。(笑)

 

秋山  逆に!?(笑)

 

はりー  私が絵を教えてもらっていた先生に久しぶりにお会いしたら、私のことをすごく嫌いになっていて、「お前の短歌は好かん!」みたいな。(笑)その時、「あっ、ああー!そんなこともあるのか!」と思って。

 

秋山  なぜですか!?

 

はりー  多分、インターネットでたくさんのものを日常的に出すからでしょうか。インターネットで公開する絵と、現実世界で展示する絵のレベルの差って、よくテーマになると思うんですけど…平たく言うと、「インターネットで公開している絵の方が現実世界で公開されている絵よりショボい」というような。インターネットでちやほやされたいからショボい絵を公開するんでしょう、という悪意、意見を目にする機会ってありますよね。そういう感覚の違いって浮き彫りになりやすい。

それと、その時に「私の絵をそんなに見てくれてたんだ…」と驚きました。(笑)

 

秋山  そうですね、そこまで嫌いになるには相当見ないと。(笑)

 

はりー  その方は少し上の世代の方なんですけど、インターネットとクリエイティブの関係の捉え方は、世代によって全然違う。

 

秋山  上の世代の人たちは、クオリティの高い絵を無言でインターネットに公開して拡散されるというのを許してくれるんでしょうか。

 

はりー  さっきhima://さんと「決め打ちで行くとスベる」という話をしていたのですが、自分の中ですごく良いと思って投稿してもあまり反応がないことってよくありますよね。見てくれている人と相互的な作用があると思うんですけど。

 

秋山  会話するような感じ。

 

はりー  はい。インターネットに投稿したものに対する反応を、インターネットではなくオフラインで貰ったことに驚きを感じました。

 

秋山  でもそんなに好きとか嫌いとか言われることってあまりないですよね。

 

はりー  関係性がそんなに密でない人から、Web上のものを通してこんなに嫌われることがあるのだなと思いました。人によって発信の仕方と、その捉え方が違うのだなということにいちばんびっくりしました。

 

秋山  何が「価値」なのかが世代によって異なるんでしょうね。画面として強い絵を出すのが良いとか、コミュニケーションを重視するのが良いとか。例えばはりーさんとかhima://さんの周囲は、語弊があるかもしれないけどアイドルとファンの関係に近いように思います。はりーさんとかhima://さんのやっていることを評価して支持するという意思表明のためにものを買っている感覚がありそう。それこそが真髄、みたいな。どうなんでしょう。

 

サブカル的/マス的

 

hima://  それに関してはちょっと微妙なので置いておいて(笑)

インターネットで会ってびっくりした人と言えば、私は秋山さんの考え方にめっちゃびっくりしてます。私はずっと絵を描いて、SNSがない頃からひとりで発表してきて、その後SNSができた。pixivができた頃は、正直こんな、Webサイトも持たないでインスタントなやり方でどうなのと思いました。それでもその中にどんどん紛れて絵を発表して、同時にtwitterなどもやっていく絵描きがたくさんいた。作品発表ありきで、簡単に自分の承認欲求を満たす人たちが多いというのは当たり前で、ものをストイックに作って、制作過程やなんかも…。

 

私は企画するのが好きで絵を描いてるということに途中で気づきました。イベントに出て絵を描いていたのも、イベントに出たいから描いてたんだ!と。

それで、あ、デザインをやりたいんだな、と思った。自分の絵を良く見せるためにデザインの勉強をした訳なんですけど。極端に言うと、本当は無機質でカッコいいデザイナーになりたかった。そういう人に憧れて、吉岡徳仁さんなどプロダクトデザイナーの方が好きで、グラフィックデザインも自己主張というより美しさを重視する方が好きで。なので秋山さんみたいに「ものとして美しいものを作る」というよりは、私の今やっているマーケティングは製作過程をちょくちょく見せて、それ込みで楽しんで頂いていると思っているので、その反応を見て量を決めたり盛り上げていったりしている。

 

そうではなく、きちんと企画してきれいなものを作って、それを発表するということは私はカッコいいと思っています。インターネットの中でそれをやる人は少ないんですよ。インスタント的なことをしてる人ばかりいるから、逆にきちんとする枠が空いているんですけど。ちょっと頑張ってものを作って、ちゃんとブランディングする人が余りにも少ないから、私は若干注目して頂いている…でもそのフィールドで張り合う相手も実は少なくて…というような。なので、秋山さんが憧れる理由が分からないんです。(笑)

 

秋山  そりゃあ憧れますよ。だって、皆に言葉をかけてもらえるなんて良いじゃないですか。

 

hima://  でも、秋山さんが作ったものに比べるとすごく少ないですよ。極論ですが、秋山さんの作ったものはヨドバシカメラとかで、私やはりーさんのフォロワーよりたくさんの人に見てもらってるはずです。インターネットをやりすぎたからだと思うけど、私、マスにすごく憧れるんですよ。インフラとして確立されているから…今、皆サブカル、サブカルって言うのが本当にアホらしく感じてしまって。サブカルチャーが陳腐になっていくほど、メインカルチャーというよりマスの重要性が高まってくる。どうせマスぶったってマスになれないんだったら、サブカルの中でデザインとしてコンセプトがちゃんとしているものをやるというのは、逆に目立ちますよね。

 

秋山  そんなことを考えていたとは…。(笑)

 

hima://  考えてるんですよ!(笑)

 

秋山  僕はやっぱり逆なんですよね。

会社の仕事というのは、コストがあって、生産個数があって、その中で「自分が」というよりは社内の人やユーザーが満足するものを作っていくわけじゃないですか。そういうところでもやもやしてる人って、今日本にいっぱいいると思うんです。メーカーの元気もなくなってきちゃったし。その一方で周りにはたと目を向けてみると、コミケにめちゃくちゃ人が来てたりして、「何か楽しそう…」と思っちゃうんんですよね。だから、お互い隣の芝生は青い、みたいな感じですね。(笑)

 

hima://  私もデザイン事務所にいて、たくさんの人に向けてものを作っていた時期もありました。それが世に出るのも嬉しかったんですけど、そういうのをどっちも経験してから、より健全でいられる方法を取れるといいですね。デザインぶりながら…というか、インターネットにいないふりをしながらめっちゃネットにいる、みたいな。

 

秋山  確かにもののクオリティとか、姿勢とかを見ていると、hima://さんの作るものは、一般のお店で展開されていそうでもあるし、hima://さんが自分のお店を持っててもおかしくないですよね。でもネットにいる。

 

hima://  今、渋谷PARCOさんで実店舗での取り扱いをしてもらってるんです。でも、インターネットの中にいるのに、インターネットの中でどこか手が届かない、実際には小さい扱いを受けているけど、ネットにさでもリアルでも手の届かないところにいると、人間関係では困らないですよ。どっちにもアクセスできる。まあ、誰からも呼ばれないこともあるので自分から行動するしかないんですけど。(笑)

 

秋山  僕も、遊ぼうよ、とかこういう企画しようよ、とか、全部自分からです。(笑)ご迷惑かな?と、メールの送信ボタンを押す指が震えます。

 

hima://  私はこういう人が増えればいいなと思います。めちゃくちゃ面白いから。お店も作りたい。

 

秋山  そう、めっちゃ面白いですよね。そういうわけの分からないお店がもっと増えればいいなと思います。(笑)

今、ものを買う手段ってすごく限定的で、特に家電製品なんてバリエーションがあるようでない。作るハードルが高いという理由もありますが。「美味しいごはんが炊ける、クオリティの高い炊飯器」というのはあるけど、個人の衝動に任せて作った「怒りの炊飯器」とかはないし、作れない。でも、そういうのがもっと出てきたら、もっともっと楽しい世界になるんじゃないかなと思うんですよ。

 

今日本のメーカーがあまり良くない状況になっているのは、インターネットが当たり前のものになったのと似ています。

何もないところに突然洗濯機とか炊飯器が来たら、ヤバい価値ですよね。今まで手でゴシゴシやってたのをボタン一つでやってくれるようになって、マジ便利!最高!という瞬間があった。それが当たり前になっちゃって、その先が、見えない。見えないのに足掻いていて、「Appleになりたい」と言っても上手くいかない。だから、個人商店的にやっていける人がもっと増えて、面白い、変なものが世の中にあふれたらいいな、と思います。

僕も実際に動くものを作りたいし、今展示室に置いてある作品で、本当に音が出るラジオがあります。このつやっとした石みたいな展示物もピンを刺すと音が聞こえるんです。物作りは金型で作るだけじゃなくて、色々あるんだぜ、というのを自分が一番分かりたいし、自分の周りにいる人にもそういうものを作ってほしいというのは変な言い方ですが…皆で作りたい。今日はそういうことをしている人に話を聞きたいな、と思って企画しました。もう、もやもやし通しです。(笑)

 

hima://  もやもやしてる方がいいですよ。(笑)皆、絵ばっかり描けばいいんですよ。そういう人たちはそこで完結してる。さっきも言ったように、RGBの絵はRGBが一番きれいなんですよ。逆にRGBで描いた絵をコミティアとかでCMYKの冊子として出したものが一番気分が悪くなる。(※2017年のhima://さん注:これは当時の考え方です 今はRGBの絵もCMYKで量産しないと需要に対して不義理だと気づきました…まだまだ修行中)

 

秋山  (画面を指して)例えば、こういうスカッとした青なんかはインクで出にくいですか。

 

hima://  やるとしたら、インクを作ってもらってやるしかない。絵描きがRGBでやっているのを別に引っ張ってこようとは思わない、思わないけど、インターネットがインフラとして完璧になって、「インターネットは最高」というのはつまり「道路最高」「水道最高」みたいなものですよね。実際に道路も水道も、最高なんです。そこから敢えてより不便なところへ行こうとしてるんですよね。ちょっと道はずれてみようぜ、みたいな。それがもやもやの原因だと思うけど、まあ、もやもやしてればいいんじゃないですか。

 

秋山  ここにちゃんとした道路があるんだけど、もしかして藪の中に道があるんじゃないかと思っちゃいますね。ちょっとでもいいから新しい道を見つけたい。

 

hima://  まあ、けもの道に人が出入りするようになったらきっとまた飽きると思うんですけど。(笑)

 

秋山  はりーさんも、会社でテキスタイルの仕事をやりつつ自分の創作活動もしている二重生活という点で僕と同じだと思うんですけど、その両立でもやもやすることはありますか?

 

はりー  急に社畜みたいなことを言いますが、会社組織に属しているということは、その組織の社長の下で働いていますよね。それは社長の始めた夢に乗っかってるだけです。で、家に帰って自分のブランド「mon・you・moyo」のものを作るときは、今度は私がその立場になる。

 

秋山  その活動でいけそうだと思ったら、仕事の全てをそっちに切り替えるつもりはありますか?

 

はりー  もちろん、自分のやりたいことを自分が先頭をきってやるのは目標です。会社員をしながら自分の制作をするのは、1日に2回、視点…視座が、上下に移動するということです。人の夢を分解して仕事をする立場と、自分の理念に基づいて仕事をする立場と。だから、面白いですよね。帰ってきたら疲れて寝ちゃったりしますけど。(笑)

 

秋山  会社がお金をくれるというのはすごいことですよね。僕はくれなかったら生活していけないです。だから、独立してやっている人に対してものすごく憧れと嫉妬がある。でも、会社で仕事をするのも悪いことじゃないですよね。

 

はりー  私は、「人の夢に乗っかってお金をもらう」という構造がすごいことだと思います。

 

秋山  フリーはどの辺が大変ですか?

 

hima://  さっきはりーさんが言ったように、自分が雇われている立場だと、視点の上下で自分がどこに置かれているか分かるんですよね。人に求められていることも、人に求めたいことも、やりたいことを人に任せる大切さも、任せられることのつらさも分かる。でも一人になるとひとつの視点でしか見られないので、どんなに楽しかったことも「仕事」になるんです。仕事としてやらないといけない。

でも、面白いものを作らないと食べていけないので、面白いことをするのも「仕事」なんですけど、ずっと家で作業していると、「仕事しなきゃ」という意識になってしまう。全部楽しかったことのはずなのに、「仕事しなきゃ」になっちゃうのがつらいです。贅沢なことだと言われるかもしれないけど、これはフリーの人ならどんな方でも絶対にあるジレンマだと思う。

 

それと、もの作り以外のことがすごく多い。お金のこと、営業のこと…1日の中で本当にものを作れているのは2割くらいかもしれないです。例えば通販の住所管理、入金管理とか。確かに「好きなことなんだから」と言われるかもしれないけど、自分が楽しむことも仕事だと思うと、変わってきます。でも、逆に全て遊びでもあるとも言える。視点を変えるのは結構大事で、週に2回くらい会社にいた時は、会社の仕事でフラストレーションが溜まる分、むしろ捗りました。でも今はもうフリーしかできないなとは思います。これからちゃんとしていきたい…。確定申告とかつらいです。でもとにかく考えたくない…。

 

秋山  フリーランスならではの良いところもあるんでしょうか。全部遊び、ということとか。

 

hima://  全部遊びです。これはデザインの先輩に言われたんですけど、「全部遊びだよ」と。実際、会社にいても全部遊びだし、何してても遊びだと思います。考え方ですかね。

 

ものに込める祈り

 

秋山  最後に一つ聞きたいことがあります。プロダクトデザインの人たちは自分の能力やスキルは個性として打ち出していくけど、その時の自分の気持ちとか衝動をものにぶつけるということをあまりしない。さっき言ったみたいに「怒りの炊飯器」とか、「触るだけで傷つくスマートフォン」とかもない。でも、インターネット上でものを作っている人たちはそもそもそういうやり方でものを使っていない。自分がその時に置かれている状況とか、心理を反映していたり、あるいは自分自身がそのままものにトレースされたようなものをたくさん見かけます。

はりーさんが今首に巻いているスカーフも、相当「ヤバい」ものだし、僕がここで展示しているラジオとかも、人間関係がうまくいっていない時に「ああ!どうしよう!」という気持ちで作っていたら気持ち悪い見た目になった。お二人は、自分自身がそのままものに投影されているというのは、狙ってやっていることなんでしょうか?それともそうなっちゃっている、のでしょうか。

 

はりー  ではまず、このスカーフについて説明させて下さい。これは私の作ったブランド「mon・you・moyo」のスカーフです。発売したのは別のところからなんですけど。さっきも少し触れましたが、「私のあなた、そのたましい」というコンセプトのテキスタイルブランドです。これはウェブマガジン「アパートメント」で連載させてもらっているテーマとも共通するのですが、日本の民話を登場する女の子をモチーフにしています。その中でも、このスカーフは、和歌山県の「道成寺」という民話の安珍清姫伝説からインスピレーションを得ています。

ざっくり説明すると、めっちゃイケメンでチャラ男のお坊さん安珍が、旅の途中で清姫ちゃんという女の子をちょろまかすんですよ。

清姫ちゃんというのは、安珍が熊野詣に行く途中に宿を借りた家の娘です。その子を安珍はチャラチャラちょろまかしたと。清姫ちゃんは恋をして「結婚してほしい」と言うのですが、イケメン安珍は「今ちょっと修行の身だから、熊野詣がおわったら迎えに来るからね」と言って帰りは全然違う道を通って帰りやがるんですよ。プレイボーイだから、まだ一人に縛られたくないとか言って。

それを知った清姫ちゃんはマジでキレて追いかける。途中、日高川という大きな川が行く手を塞ぐのですが、蛇に変身して渡っちゃう。船で逃げていたイケメン安珍はびっくりして、道成寺という寺に逃げ込んで鉄の鐘の中に匿ってもらう。そこへ蛇が追いついて、鐘ごと焼き殺すんです。

 

秋山  オチがすごいですね。

 

はりー  すごいですよね。でもそれが、すごく気持ちの良い話だなと思って。(笑)

 

秋山  男から見るとたまらない話です。

 

はりー  そうですね、絶対に焼き殺されたくないですよね。一般的に女性という存在は、待たされたり虐げられたりすることが歴史上多かったと思うのですが、民話の中で「好きなように」している女の子がすごく気持ち良いなと思いました。欲しかったら欲しいし、ムカついたら追いかけるし、殺したかったら殺すし、好きなようにしているのがすごく良い。このスカーフは蛇に見立てた女の子の髪がにょろにょろのびていて、そこに白米が絡まっていたりとかしています。

 

秋山  白米…お米ですね。

 

はりー  お米です。炭水化物。(笑)あとは高い時計とか、高い靴とか。それとしょうもない男の子も絡まっています。(笑)

 

秋山  これ、イラスト全体をウェブで見たことがあるんですけど、しょうもない男の描かれ方がほんとにしょうもないんですよね。(笑)こりゃ駄目な男だな、と思って笑ってしまいました。

 

はりー  (笑) それと、この角のところに、能の演目で清姫が蛇に変身したことを示すために着る鱗紋の着物があるのですが、そのモチーフが入っています。「欲しいものを絶対に手に入れてほしい」という思いを込めて作りました。

それと、あとは短歌とさし絵というセットをウェブにアップしているんですけど、そもそもこういったものを作りはじめたきっかけは、さっきも言ったのですが、誰でも経験があるであろう恋やクリエイティブに対する挫折から生まれています。そういうものに対する「当てつけ」で作り始めたというか。恋に破れた相手に対する当てつけであるとか、自分が失敗したことをうまくやっている相手に対する当てつけであるとか、うらみつらみを込めて。

 

秋山  だから、見てると念が伝わってきてヤバいんですよね。その呪いのようなものがポジティブなタッチで描かれているのが強い。

 

はりー  それらをpostしたり、販売したりしている時に、共感や反応してくれる人がいてくれて、(ああ、同じようなことを思っている人が意外といるんだな)と思って。

 

秋山  その話を聞いて、スカーフを改めて見ると、すごく腑に落ちる感覚があります。また、この前僕のポートフォリオをはりーさんに見てもらう機会があったんですけど、その作品を作っているときに僕はちょうど失恋していたんです。それらを「これは傷つくことを知らない無邪気な頃の作品」「これは恋人とうまくいかなくなってきてヤバい頃の作品」「これは一番最後にだめになってしまってすごくさびしい頃の作品」と説明したら、「まるっきりそうですね、どこからどう見てもバレバレですよ」と言われて。そういうのって出ちゃうものなんですね。(笑)

 

はりー  悲しい感じとか、まだ傷つくことを知らないピュアな感じとか、すごく表れてましたもんね。(笑)そういう何かがないと作れないのかなと思います。傷を舐めるというか、やり場のない当てつけというか。そういう感じです。

 

秋山  hima://さんはドライになりたいとずっと仰ってましたが、やはり出てるものってありますよね。それは意図せず出ているんですか?

 

hima://  出ないように頑張っているけど、絵の方は完全にもう、ウェットです。絵を絶対にものに使わないというのが私の中の決まりで、イラストのプリントTシャツとかを基本的に作りたくない。

出せば喜んでくれる人もいるでしょうけど、それを絶対にやりたくないのは、私の感情が前面に出てるからで、私の衝動、腹が立つこと、ムカつくこと、苦しんだことは絵だけでいいです。それは誰にも邪魔されたくない。その成分だけを抽出して「性的殺意」ができているというか。イラストをイラストじゃないものに噛み砕いて、感情が見た目でダイレクトに入ってこないように、それを「性的殺意」というフィルターで濾す。「性的殺意」という単語が絵を濾したフィルターでキャッチしてくれるから、汚いところはあんまり見えないようになっています。きれいな汁だけ。(笑)普通にカッコいいものを作ろう、っていう。

 

ものに、考える隙を与えるというか。女の子でも男の子でも、救いになってほしいんです。でも救いはこっちから押し付けるものじゃなくて、私のものづくりは…。

最近私も失恋したんですけど(注:その後復縁したそうです)、その人と付き合い始めた16歳くらいの頃、幸せになっちゃったら絵が描けなくなるんじゃないかと不安になったことがあって。そう言ったら、相手はすごく純粋な人だったんですけど、「君は今まで不安に頼りすぎてたんじゃないか」と言われてハッとしました。それまでの自分のつらかったことはパッケージして、自分の中の感情はモチーフとして置いておいて、そこからまた別のものを描こうと思った。そういうのを10年やって、今はまたインプットの時期に入ってしまったんですけど。

 

つらい思いをすることでしか絵が描けないというのは、私の中で「いけないこと」になっていて。コンセプトがしっかりして、どんなにつらくても、楽しくても、笑っていても芯が通ったものを描きたい。ものは私の押し付けじゃなくて、つらい思いを抱えている人が「何のためにそれを買うのか?」を問いたい。

(写真を指して)これは羽根の片翼バージョンのピンなんですけど、私のものをつけてくれる人が何のためにこれをつけるのか考えてtweetしてくれる、それを指定しちゃだめだと思うんですよ。何で羽根が欲しいのか、何で羽ばたきたいのか、それを考えてほしいし、それをつけてお守りにしてほしい。

で、いつか要らなくなってほしいと思います。

 

秋山  それ、超カッコいいですね。

 

hima://  やったあ。(笑)そういう余白を残すことが大事なので、私の押し付けは絶対に入れたくない。でも毒がないとそういう子にはキャッチされないので、譲れないところは譲らないように。作品として完成する瞬間というのは、こうやって「私は羽根が必要だから」「今なら飛べるかもしれない」と言ってるのを見たときにやっと実現する。

 

秋山  めちゃくちゃカッコいいじゃないですか。

 

hima://  いやあ〜まいったなあ〜。(笑)

 

秋山  僕も似たようなことを思っていて、会社に入って一番最初に作った製品が電気ケトルなんですけど、おばあちゃんにそれをプレゼントしたんです。そしたらそれをちゃんと使ってくれていて、おばあちゃんちの一部になっているのを見たときに本当にめっちゃ感動して、これだ!みたいな。やっぱり、ものを作るというのはそこですよね。自分の作ったものを使ってもらって、自分のやったことが人にちゃんと伝わってるんだなと感じた時、ヤバい、アツい!と思います。

 

hima://  エゴもバランスを取って、めっちゃ出していきたいところですよね。

 

まとめ

 

秋山  今日来てもらったお二人はインターネットを通して活動しているところは共通しているけど、作風も全然違うし、作り方も、やり方も違う。

でも僕が惹かれて、何としてもお呼びしたいと思ったのは、二人とも、中につらいところや弱いところ、やわらかいものを抱えているんだけど、それを自分だけのものにするんじゃなくて、ちゃんと人に届くような形にポジティブに外に発信していく強い意思を持っていたからです。そしてそれが本当に通じている、こういう形で人に届いているというのが最高にクールだなと思います。

 

それが「インターネットは最高」というタイトルにした理由のひとつでもあるんですけど。

工場でものをつくって、それが便利だからいいね!というのを超えたものづくり…ある地味では、昔のものづくりってそうだったと思うんです。家の裏の八つぁんが「こういうものが必要なんだけど」と言ったら、その友達の熊さんが「じゃあ俺が作ったるわ!」と言って作ってあげる。それは大量生産品では叶えられない濃ゆいコミュニケーションみたいなものがあって。僕がインターネット上のものづくりに自分も加わりたいと思う理由はそこなんです。

ものを使って渡す衝動みたいなものがそこにすごく原始的でピュアな形で現れている。そしてそれが流通してうまくいっている事例がここにある。それが本当に最高だなと思って、お二人を呼んで話をさせてもらいました。僕はまだまだ自分の思っていることも人に伝えられないひよっこではあるんですけど、二人のカッコいいところを見習って、ちょっとでも良いもの、ガツンと届くものを作れるようになったらなと思います。どうもありがとうございました。

最後に告知とか、これだけはということはありますか?

 

hima://  3/13〜18まで、東京下北沢で展示をします。キモチフィールソーグッド2という展示なんですが、インターネットは最高、みたいな部分が結局場所に集まってくるのをこういうところで確認していきたい、人の顔が見たい。本当にいる人たちなんだな、というのを毎回モチベーションにしてやっていて、私も楽しみにしているのでご都合がつきましたら遊びに来て頂ければと思います。インターネットの何がいいかは、インターネットそのものではなくて、実は25歳にもなって関西にひとりで来るのは初めてなんですけど、ビビリの私をこうやって大阪まで連れてきてくれた、インターネットは最高です。ありがとうございました。

 

はりー  私は6月に高円寺のぽたかふぇ。さんにて、イラストレーターの内山ユニコさんが作られたインターネットで公開されているキャラクター「顔ちゃん」のトリビュート展示に参加させていただきます。それと、9月に「mon・you・moyo」の展示をします。「mon・you・moyo」のウェブサイトを公開する予定なので、また皆さんに見て頂ければいいなと思います。私はインターネットっぽく言うと、「関西オフ会ガチ勢」というか…。(笑)やっぱり色んな人に会えるのがすごく魅力的だし、会いたい人を探しているというようなところもあるので。

さっきhima://さんが「人の顔が見たい」と言っていたけれど、そういう風に色んな人に会って、話を聞きたい。色んな人の人生を覗くじゃないですけど、とにかくその人の話が聞きたい。それは一見その人のことを考えているようなんだけど、やっぱり結局自分のことしか考えていなくて、聞かせてもらった話を自分のものづくりに取り入れていきたいというのが本当のところなので、色んな人に会いたいと思います。色んな人に会えるインターネットは最高、ということで。

 

秋山  僕も面白かったです。想像力の部屋、3回あるトークのうちの1回目はこれにて終了とさせていただきます。どうもありがとうございました。

八百万の神さまとデザインされたプロダクト(もののけデザイン2)

デザイン もののけデザイン

前回書いた記事を元に、「もののけ」のデザインについてさらに考えていこうと思う。今回は、「神さま」と「人と共生するプロダクト」の共通点をいろんな面から見てみることにしよう。まずは和歌山は高野山の話から。

 

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高野山のコダマたち

昨年の11月に、初めて高野山を訪れた。

山の上の町、見事な杉やヒノキの森、荘厳な朝のお勤め、色々見どころは多かったが、もっとも印象に残ったのは、奥之院に続く参道のそこここに佇む、小さい石像だった。

 

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顔の彫りはないけれど、不思議に穏やかな表情が見えるよう

 

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上のものより立派。お地蔵さんかな?

 

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 これらなんか仏さまの像というより石のかたまりみたいなのに、気配を感じる

 

 

前回も触れたもののけ姫の「コダマ」に似た見た目の、愛らしく物悲しいようなこの石仏。これらは高野山が持つ長い歴史の中で、参拝者が家族の供養のために持ち込んだ石塔―庶民たちの無縁仏なのだそうだ。

彼らは奥之院の森のそこここに無造作に佇んでいる。その数は数百ではきかず、数千、もしかしたら数万もあるのではないか。可愛らしい前掛けや毛糸の帽子は誰がかけてあげたのだろう。

 

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参道の一角に、石塔を積み上げた小山まである。このあたりの土を少し掘るだけで、無縁仏が無数に見つかるそうだ

 

現地でこれらを見たときに、そのただごとではない雰囲気に圧倒された。

広い森の中どこまで行っても石塔だらけなのだ。ほとんど無限にあるのではと思わせる数だった。

でも、不思議と恐ろしい雰囲気は感じなかった。代わりに見てとれたのは、優しく穏やかな空気、不思議な愛らしさ、長い年月の間に徐々に風化していった悲しみのようなもの、誰のものかもわからなくなってしまった気持ちの痕跡だった。誤解を恐れずに言えば、とてもかわいかった。

僕は信心深い方ではないけれど、何か神さまっぽいものがそこら中にいるなと思わせる、不思議な神聖さの漂う空間だった。

 

 

日本独特の神さま/ロボット観

上で、石塔に対して「かわいかった」と書いたが、実はこれは日本人的な感じ方なのだという。その背後には、大木や巨石、身の回りの道具など、あらゆるものに神さまが宿ると考える、八百万的世界観があるようだ。一神教の世界では、神さまは崇めるべき偉大な存在であり、かわいいという言葉の対象にはならない。神さまのことを「かわいい」と思う感覚は、多神教、もっと言えばアニミズムの世界に特有のものなのだ。

八百万の神々が存在する世界観は、僕たちが思っている以上に日本人に根深くインストールされている。そしてその認識が、ドラえもんやアトム、asimoなど、独特のプロダクト―ロボットたちを生み出すための素地になっているというのだ。

書き手不詳のネットの記事だけれど、この文章を読むとそのような見かたがわかる。

 

ロボット・アニメとアニミズム

 

いちばん気になるところを引用してみよう。(太字はあとからつけました)

世界に衝撃を与えた日本人のロボットへの感性の根幹には、日本人の持つアニミズムの呼吸がある。私たちがロボットを―現実の日常に進出してくるにはまだ時間を要するとはいえ―人類の友、あるいはパートナーとして認識するとき、そこには非生物への感情移入が成立している。この種の共感:感情移入は、アニミズム-しばしば、思考や情緒が未発達な幼児に特有のものとして‐西洋では定義される。しかし、日本では擬人化は子供の独占物ではない。直接的にアニミズムを描いたジブリから、びんちょうタンや鉄道擬人化といった萌え文化に至るまで、アニミズムを母体とした日本人の感性がいきている。もっとも、多くの場合、日本人自身がそうした思考体系に目を向けることはなく、したがって意識されることはない。西洋の目を通すことで初めて、ロボットに抱くアニミズムの呼吸に気づくことになる。

 

 先ほど書いた、石塔に対して「かわいい」と思うことはまさに非生物への感情移入だ。

石塔をかわいいと思うことは、コダマやドラえもん、自分たちで生み出したプロダクトをかわいいと思うことと同じ感覚だし、それは偉大なる神に対して抱く畏怖の念よりも、もっと素朴で日常的な感覚であるように感じる。

その意味で、僕らの頭の中では、人間が作ったロボットと超自然の神々が区別されていない。

だからこそ、(ターミネーターじゃなくて)ドラえもんのような、ユニークで可愛らしい存在であるロボットを想像することができるんだろう。 

 

 

 ものに憑依する神々

尊敬する作家のひとり、メディアアーティストの市原えつこさんの作品に「デジタルシャーマン・プロジェクト」がある。亡くなった人との別れを時間をかけて理解するために、49日の間、その人を憑依させたロボットと暮らすというものだ。

 

vimeo.com

サムネイルのお面の主に昨年深圳でお会いしました

 

 『デジタルシャーマン・プロジェクト』では、科学技術の発展を遂げた現代向けにデザインされた、あたらしい弔いの形を提案しています。現段階では家庭用ロボット「Pepper」に故人の人格、3Dプリントした顔、口癖、しぐさを憑依させたものを開発しました。このプログラムは死後49日間だけPepperに出現し、49日を過ぎると自動消滅します。

 

先日ICCの展示で見た際にはpepperではなくもっと小さいロボットを使っていたが、なんというか喋るセリフがリアルなのだ。(「エアコン設定温度下げていい?」とか)故人のふとした存在感を味わうことを通して、その不在を受け容れるためのプロダクト。ロボットを人格の依り代にするというアイデアがすごい。ICCでロボットに憑依していた人格は当然ながら僕にとっては他人なのだが、もし自分の親族や友だちだったらどういう気持ちになるのか想像したくなる、心のひだを触られるような作品だった。

これもある意味、非生物への感情移入だ。「人間が人間以外の存在と共同生活する」のが当たり前の、アニミズム的世界観の上に成り立っている表現なのかもしれない。

 

 

 新しい方法で神さまをデザインする

先日入手した本「未来を築くデザインの思想」に掲載された面白いタイトルのエッセイがあった。ブレンダ・ローレルというデザイナーによる「デザイン・アニミズム」というテキストだ。

 

未来を築くデザインの思想-ポスト人間中心デザインへ向けて読むべき24のテキスト

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  • 作者: ヘレン・アームストロング,久保田晃弘(監訳),村上彩
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コンピュータとその作用を生活に深く浸透させること(パーベイシブ・コンピューティングというらしい)と、アニミズムとの関係を考える内容で、正直難しくて内容が読み取れない部分もあるのだけれど、その一部分に好奇心を非常にそそる記述がある。(太字はあとから)

 

 私の庭には、妖精たちがいる。

妖精の1人は、ラベンダーに着目している。その妖精は花々の歴史を知っていて、日向や日陰が時間の経過とともに庭をどのように移動していくかも知っている。(中略)水の妖精たちは草花の周囲の土を味見して、乾きすぎていたら湿らせてくれる。トカゲたちがヒイラギナンテンから薪の山まで走るのを見たトカゲの妖精たちは、私の机の上でダンスをする。

私たちは妖精を見る―つまり考え出す。しかし今、それを実際に作ることもできるのだ。私たちは初めて、知覚を有して独立して行動できる実体―独立していなくとも、実体同士もしくは生物と交流して行動できる実体を創造する能力を持ったのだ。創造された実体は、学び、進化することができる。新しいパターンを露わにし、私たちの感覚を拡張し、私たちの行為の主体性を強化し、私たちの心を変化させる

 

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                   wikipediaより引用

文章の前後から見るに、ここで描かれている「妖精」は、人間の手で作られた「妖精のようなプロダクト」であるようだ。アニミズムとは万物に神さまが宿ると考える宗教観なのだから、これはエッセイのタイトルでもある「デザインされたアニミズム」(原文ではDesigned Animism)の具体例と言えるだろう。

これらの妖精たちを今ある言葉で形容するならば、いわゆるIoTになるのだろうか。お互いに、あるいは人間とコミュニケーションをする、愛らしい「もの」たちの姿は、付喪神の例を持ち出すまでもなく、妖精や日本における神々ときわめて近い…というか、極論を言えば同じだ。

 

なぜならば、神々はかつて、雷や嵐、夜などの「人智を超えたできごと」を説明するためのコンセプトであったからだ。アニミズムの神々は、人間が彼らを想像することで世界の中に姿を現した。僕らの祖先は、神話や口伝をメディアに、人間に解明できない不思議を担うものとして「神々をデザインしていた」と言えるだろう。

そして、その方法は、上の文章で筆者が描き出そうとしている、「妖精」たる新しいプロダクトやアプリケーションを生み出す手法と、根源的にはまったく同じではないだろうか?

 

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というわけで、「もののけ」と「プロダクト」は、実はけっこう近いものなんじゃないかという話を書きました。次回(まだ続く!)は、「もののけとしてのプロダクトはどんな姿をしているか?」というテーマです。できるだけ早めに書きたいぞ!

 

たいしたことないものを人に見せること

(自戒を込めて書きます)

自分で作ったもの、あるいは描いた絵、作った音楽、文章でも、なんでも良いんだけど、なにか作ったものを誰かに見てもらうことって結構ハードルが高い。

芸事を行う人ならわかると思うけれど、\これを作りました/ と発表することで、そのときの作者のスキルやセンスが見る人にダイレクトに伝わる。だから、上手くいかなかったものを見せることは、自分の力のなさをお披露目していることにもなってしまうだろう。怖い。できればそれは避けたい。自分がダサいやつであるということを悟られたくない。

 

けれど、それでもそれを見せることでしか得られないものがある。それは第三者の評価だったりとか、意外な人のつながりだったりとか、それなりの自信だったりとかする。それらは一人で作っているだけでは決して得られないものだ。残念ながらそれは間違いない。

今まで会社の仕事以外でいろいろ作ってきたけれど、それらはお金を産んだわけでもないし、コンペで賞をもらえたわけでもない。(とてもくやしい)

でも、何かを作って誰かに見せることで、見知らぬ土地で友人ができたし、ネットの向こう側とも交信できたし、見たことのないものをたくさん見ることができた。それに、何年か続けているうちに、幸いなことに、作ったものに興味を持ってくれる人から言葉がもらえるようになった。(とても嬉しい)

そういった体験を繰り返していると、(もしかして…自分には新しいものを作れる可能性があるんじゃないかな…?)と思えるときがある。もしかしたらそれは勘違いで、作ったものはゴミなのかもしれないけれど、そう思い込むこと、作り続け、発表し続けて、土俵の上に居続けることからしか、新しいもの、価値あるものは生まれない。

 

土俵から降りてたまるかと念じながら、たいしたことのないものを発信することを続けていこう。なぜならそれは、とても楽しいことだから。

 

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 年末に考えていた、「手紙として送れる音楽プレイヤー」のアイデア。埋もれる前に

 

文学のなかのもの

考えごと 読書

 

先週末、大学のころの友人と話していた時に、小説、特に戦前の文章の「ものを描写するテクニック」ってすごいよねという話題になった。夏目漱石が羊羹のことを書いた文章とかすごいよという話。あまり思い出せなくてもどかしい思いをしたので、家に帰ってからどんな書き方だったのか調べてみることにした。その一説は「草枕」の中にある。

夏目漱石 - 草枕

 

余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹がだ。別段食いたくはないが、あの肌合らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出してでて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっとかだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶるえて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。

 

何かを描写するには観察力と表現力が必要だ。それは絵でも文章でも同じだと思う。文章の場合、表現力はボキャブラリーとかレトリックになるんだろう。このテキストでも、「羊羹をほめる」ということに対して、いくつもの魅力的な言葉が気持ちよく使われている。

 

・肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける

・玉と蝋石の雑種のよう

・青磁の中から今生れたようにつやつやして

 

これだけ沢山の良い言葉が羊羹をほめるために繰り出されるのだ。Twitterばっかりやっている僕にはほとんど衝撃的です。「羊羹って洋菓子とは違った魅力があってめっちゃ良くない?」では伝わらない魅力を余すところなく伝えて余りある。表現が豊かすぎて、それについて何か書くのがばかばかしくなりますね。

(ちなみに、ちょっと調べたところ、文中の「青い煉羊羹」については、抹茶色の羊羹だったとか、茶色の羊羹の色の深さを「青」という言葉で表したとか諸説あるようだ。僕は後の方の解釈が好み)

 

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V&Aミュージアムで見た楽茶碗。全世界の焼き物が所狭しと並べられている中にすっと置かれていて、なんだかほっとした気持ちに

 

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日本的な美を書き表した表現についてもう一つ。僕は社会人になってから読んだのだが、建築、デザイン関係の学生の間ではとても有名な本だという、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」から、金色の使われ方についての一節。

谷崎潤一郎 陰翳礼讃

 

諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。そして、その前を通り過ぎながら幾度も振り返って見直すことがあるが、正面から側面の方へ歩を移すに随って、金地の紙の表面がゆっくりと大きく底光りする。決してちらちらと忙がしい瞬きをせず、巨人が顔色を変えるように、きらり、と、長い間を置いて光る。時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃え上るように耀やいているのを発見して、こんなに暗い所でどうしてこれだけの光線を集めることが出来たのかと、不思議に思う。

 

・遠い遠い庭の明かりの穂先

・ぽうっと夢のように照り返して

・沈痛な美しさ

・眠ったような鈍い反射

 

すごすぎやしませんか。眠ったような鈍い反射!ほの暗い畳敷きの部屋で金のふすまがわずかに光る様子が目に浮かぶようだ。

この段落よりも前に、「日本の蒔絵とかって結構派手な金色の使い方をしているけど、それが派手に見えるのはもともと想定されていたより明るく白い空間で見ているからで、本来は薄暗い部屋で見るのが一番綺麗である」というくだりがある。それを読んでから再度見てみると、よりここで描こうとしている美しさの正体に近づきやすいと思う。

一節の中で、個人的に最高だと思うのはこの部分。

 

・巨人が顔色を変えるように、きらり、と長い間を置いて光る

 

「、」の使い方含めて美しい。天才。

 

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近所の古い家の軒先から下がっていた照明。すりガラスのシェードが光を柔らかくしている

 

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最後に、宮沢賢治銀河鉄道の夜」から。列車で目を覚ましたばかりのジョバンニとカンパネルラが、窓の外に広がる天の川に目を奪われるシーン。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

 

その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどきの加減か、ちらちらいろのこまかな波をたてたり、のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。

 

・ガラスよりも水素よりもすきとおって

・紫いろのこまかな波をたてたり

・声もなくどんどん流れて行き

 

「天の川の水」は、上2つの例とは違って現実には存在しないものだけれど、この文章を読むと、それがどんなものか分かるような気がする。

透明度が高すぎて、光のゆらめきのように見える液体。空気のようにさらさらしているので、波立つことはあっても音を立てることはない水。水晶やシャボン玉のような、はかない紫色のハイライト。

 

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島根の海辺。これはこれで綺麗だけど、天の川の風景はきっとこういう色ではないよね

 

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優れた文章による描写を読むことで、自分が見過ごしていたものの美しさに改めて気づき、ものの見方の解像度をぐっと上げることができる。夏目漱石の羊羹語りを読んだ後に羊羹を食べれば、その魅力により深く迫ることができそうだ。味も変わって思えたりして。また、谷崎潤一郎に何かプロダクトを語らせたら、角Rの端に入るハイライトライン一つとってもかなり雄弁に描写してもらえそうだ。

 

自分の身を省みて、もののデザインをするときに、自らが作る形をこんなに細かく見ているだろうかと思う。案外、フィーリングで形状を決めたり、データやデザイン与件の成立しやすいようにしちゃってないだろうか。美しいレトリックで飾るまではゆかなくても、一つ一つの要素に意味を持たせているだろうか。正直、いままでの仕事ではそこまでのことはできていないんじゃないだろうか。

優れたデザイナーは、自分が今見るよりもよっぽど深く、詳細にものを観察し造形することができるのだろう。それこそ、夏目漱石谷崎潤一郎のように。

 

 

 

 

 

Oracleスピーカーのメイキング

デザイン

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先日、友人の佐藤きみちゃんと難波さんの電子音楽ユニット「Mother Tereco」の1stアルバム「Oracle」がついに発売された。それに合わせた勝手な応援として、Mother Terecoのお二人に贈るつもりでこんなスピーカーを作ってみた。

 

ORACLE

ORACLE

 

 

Mother Terecoの音楽は、アナログシンセやフィールドレコーディングされた音が緻密に構成されていて、とても職人的でカッコいい。是非聴いてみてください。(勝手に広告)MVもソリッドで、彼らの世界観にばっちり合ってる。

 


Mother Tereco / Echo Love

 

せっかくなので、これをどうやって作ったかを書いてみたい。

 

以下のノウハウは僕が趣味の工作をする上で使っているものなので、プロのものではありません。でも、自分のアイデアを形にしてみたい学生さんとか、趣味のものづくりをされている方にはちょっと参考になると思う。

意外と安い金額で作ることができるので、興味のある方は自分でもオリジナルのプロダクトを作ってみてほしい!きっと楽しいよ。

 

 

1. 機能する部分をつくる

今回作ったのは、電気的にちょっと詳しく言うと「外部入力付きのアンプとスピーカーをつなげたもの」なので、まずはそれらをなんとかしてでっち上げることが必要になる。

とは言っても、僕は回路設計とか電気のことは門外漢なので、電気街に走りキットを購入してきた。大阪日本橋のデジットというお店で売っていた、「低電圧オーディオアンプ」というキット。1500円くらいだったと思う。

これがなかなかの優れもので、単三電池2本で音楽を聞くことができ、こんなに大きい音が出るのかと驚くほどしっかりした音が出る。音質は大したことないですが、そのあたりを追求しだすときりがないので、お財布事情との相談して決めてください。スピーカーは以前作ったラジオキットに付属していたものを分解して再利用することにした。

 

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中央の小さい基板が心臓部で、そこから電池やスピーカー、ボリュームなどにつながる

 

キットの部品点数が少ないので、はんだ付けが初めての人でも組み立てられると思う…多分。

これで音が出る状態になった!

 

 

2. 見た目のデザイン

最初のツイートリンクでも触れたように、今回制作したスピーカーのガワは、壊れた露出計の筐体を再利用している。

olympus emm-7 - Google 検索

だからオリジナルのデザインとは言えないかもしれないけど、ここでは自分の作った部分のことを簡単に説明します。

 

2-1 露出計を計測する

先ほどの露出計にはまっていた鉄板をとりはずし、その寸法を計る。定規などでももちろん良いけれど、もしあればノギスで測ったほうが正確な寸法が得られると思う。(工業製品の中には「36.5mm」とか、微妙な寸法がけっこう存在するし、正確に測らないと後で組み立てられない)

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測った寸法を無料かつ高性能の3DCADであるFusion360で図面化し、完成形をイメージしてみる。

これでひとまず大体の形はできた。

(ただ、上のパーツの曲げがこんなに綺麗にできないことを後に知ることとなる…!)

 

2-2 パネルのデザイン

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どんな見た目にしようかな〜と悩む。一番面白いプロセスかも

 

できたデータをFusionの図面機能で二次元図にして、さらにPDF書き出し機能を使ってIllustratorで読み込めるデータに加工する。

Illustratorで読み込んだあと、パネルの柄やスピーカーの穴の形など、どうすればカッコよく、使いにくくなくなるかを考えながら、部品や文字を配置していく。「Oracle」の文字は、手描きしたものを撮影して取り込み、上からなぞってパスデータにした。

スピーカーの周りには、Mother Terecoの音楽をイメージしつつ民族調の幾何学柄を配置。

 

2-3 試作品作り

金属パネルを作る際に、Illustratorで作ったパスデータを安く切ってくれる「きりいたドットコム」というサービスを使った。安いといっても、上下のパーツを切ってもらったら5000円くらいするので、できれば一発で完成品を作りたい。そのためには、試作品を作って見た目や機能を検証する必要がある!

 

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コピー用紙にプリントしたパネルの図を厚紙にスプレーのりで貼り付け、切り抜いて部品をのせてみる

 

ということで、作ったデータを出力しボール紙の簡易モデルを作ってみた。

それを露出計のガワにはめてみたのが下の写真の状態だ。

 

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けっこう完成品イメージできるのでは!?

 

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ボツ案。Braunの真似をしてシンプルイズベストなデザインにしてみようという出来心で作ったものですが、スカスカになってしまいシンプルの難しさを知る

 

試作品を作ってわかったことがあった。

2枚上の写真のようにスピーカーをむき出しにして配置すると、中音域がかなり強く出てしまい、耳が痛い感じの音質になってしまう。これを防ぐため、金属板の後ろにスピーカーを配置し、板に穴を開けてやることで、中音域をちょっと減らしてやる工夫をした。(そういえば、もともとのラジオキットでもそういう風になっていたな、と思い出したり)

 

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もうこれで良いのではと一瞬思わなくもない…でも紙なのでへなへななのです

 

その工夫を盛り込んだボール紙モデルがこちら。上のパーツと下のパーツの間にすき間をつくり、iPhoneを入れられるようにした。(この段階ではそうだった…)

 

 

2-4 アルミ板と印刷物の発注

さて、これで完成品を作るための素材となるデータが出揃った。つまり、

A アルミ板を切り抜くための図面データ

B 切った板に印刷するための版下データ

だ。

趣味でやってる人間としては、これらをできるだけお安く加工していただきたいところ。先程も少し触れたが、Aについては、「きりいたドットコム」 の、オーダーメイドカット加工を使った。

 

www.kiriita.com

 

Aiデータを送ると無料でいくらかかるかの見積もりをしてくれる。すごい!

これが見積もりの際に送ったデータ。

 

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 するとすぐに返信が来た。2つ合わせて、送料込みで5000円ちょいといったところ。僕はものすごく安いと思います。

ちなみに、素材は「アルミ5052」の1mmでお願いしています。

 ありがたいことに一部寸法がずれていた部分を指摘して頂いたので、データを修正して再度送る。入金手続きをしてから到着までは、土日を除いた営業日で3〜7日かかるとのことでしたが、今回は日曜に入金手続きをして、次の金曜には部品が届きました。やった!!

 

 

印刷する文字データは、2つに分けて発注をした。細かい文字など精密な部分は、プラモをやる人にはおなじみの「インスタントレタリング」と呼ばれるシールのようなもので、柄や大きい文字はシルク印刷で作ることに。

シルク印刷は値段も低く、乾けばこすれても剥がれにくいというメリットがあるが、素人クオリティでは10pt以下程度の細かい文字を印刷するのには向いていない。インレタ(インスタントレタリング)はめちゃくちゃ細かい文字や細い線も再現できるが、爪で引っかいただけで剥がれてしまうので、使う箇所は最小限にとどめたい。なので両者を組み合わせてみました。 

 

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ちょっと見えづらいけど、これがインレタ。検索すればネットで作ってくれるところが見つかります。こちらは2000円くらい。はく離紙の上に乗った状態で送られてくるので、切り取ってテープで位置決めをし、シートの上からこすって対象にくっつけます。

 

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 こちらが残りの印刷する版下。Illustratorで作っていたデータから、必要な部分のみを切り出してきたことが分かるでしょうか。

これはシルク印刷で表現できるので、関西のみなさまにはおなじみ…かもしれない、「レトロ印刷JAM」の製版サービスを利用。Tシャツやトートバッグなどを作るためのシルク簡易版を格安で作ってくれる。すごいぞ!

 

omise.jam-p.com

手元に以前使ったときのフレームがあったので、今回はSサイズの製版(データを元に印刷できる版をつくること)のみをお願いして、送料込みで2000円ちょい。安い!

こちらは一週間もかからず、データを出して決済したあと3日位で到着しました。

 

さて、ここまでやって、やっとすべての素材が手元に揃った。

組み立てるぞ!

 

 

3. 組み立て

大雑把に分けると、ここには以下のプロセスがある。

・パネルの塗装、印刷

・各パーツを組み立てる

順を追って説明します。

 

3-1 パネルの塗装、印刷

アルミ板の塗装はスプレー缶を使って簡単にする。

大きなゴミ袋を使って簡易塗装ブースを作り、その中で塗る。一度で塗ろうとすると必ず失敗するので、3回くらいに分けて薄く塗り重ねるのがコツ…だと思います。詳しく知りたい方は、フィギュアとかプラモ業界にはノウハウが山ほどあるのでそちらを当たってみてください。色はつや消しブラックを使用。

 

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パネルとネジが塗れました

 

そして、シルク印刷!

 

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刷れました

 

…シルクは一発勝負なので、やってる最中の写真が撮れなかった。

こう書くとサラッと成功しているみたいだけど、実際は一回ずれて失敗している。インキはTシャツなどに使うRISOの水性インキを使っているので、失敗してもすぐに水で流せばなかったことにできるのが良いですね。

 

インレタを貼って部品を装着し、下のパネルは完成!

 

 

3-2 上のパネルを曲げる

今回の鬼門となったパネルの曲げ。

最初は、簡単なガイドを使って以下のように曲げてみた…が、曲がり方が均一にならず、失敗。この写真ではきれいにできているようにみえるけどダメな仕上がりに。これではMother Terecoには渡せんぞ…!

 

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ということで、もっとしっかりした簡易ベンダーを作ってリトライ。😂

 

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 このあたりはまだノウハウとして確立できていないので詳しくは書きません。むしろもっとピシッと曲げられる方法を知りたいので教えてほしいです。

 

 

3-3 各パーツを組み立てる

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こうして

 

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 こう!

 

2枚目の写真をよく見て欲しいのだけれど、ボール紙試作のときにあったiPhone用のすき間がなくなってしまっている。これは、紙だとピシッと折れていたが 、1mmのアルミ板を人力で曲げた時にピシッと(角を小さくして)曲げることができなかったために起こった問題。

本来ならばさらにアルミ板を再発注して試行錯誤するべきなんだろうけど、お財布事情の問題と、なによりアルバム発売日までに完成しなくなるので今回はあきらめました。

 

あとは写真をキレイに撮って…完成!

Mother Terecoのお二人にも喜んでもらえて、ファンとしては大変光栄でした。

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記事の最初にも書きましたが、こういうDIYってなかなか面白いです。

一度でも何かを作ってみると、いつも使っている工業製品がいかによくできているかが分かったり、これも人間が作っているものなんだなあ、など様々な気付きがあるのでおすすめです。趣味としてもなかなか良いと思いますし!

 

もし、自分でも何か作ってみたという方がいましたら、教えていただけると嬉しいです!

 

「新版 論文の教室」はめっちゃ役に立つ本

読書 考えごと

戸田山和久「新版 論文の教室―レポートから卒論まで」を読み終えた。

昨年深圳でお会いした松田さんがTwitterでおすすめしており、面白そうだなと思って買ってみたのだけれど、これはものすごく役に立つ良い本だった。

 

新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

 

 

僕にとって特に有用だったのは、パラグラフ・ライティングについての第7章と、分かりやすい文章と分かりにくい文章の違いについて触れた第8章。

特に第8章では、具体的にどんな書き方が分かりにくいのかの実例をあげながら、それらを改善するための方策をいちいち教えてくれる。この中で、「自分もやってる…」と一番ドキッとしたのが、「ゾンビ文」だ。

 

【例】実在論と観念論の違いは、人間の認識活動から独立して存在する実在を認めるかどうかという点が異なる。

 

う…おかしい。おかしいけど、何がおかしいのか分からない。文章の意味がわかるかはさておき、何か違和感がある。でもなんだろう…?

著者によると、この違和感は、文章の主語と述語が対応していないことによって生まれている。つまり、

 

実在論と観念論の違いは、人間の認識活動から独立して存在する実在を認めるか否かという点だ。」

 

 

だったら良いということ。確かに違和感がなくなっている。「AとBの違いは〜だ」という形にハマったことで、余計な引っかかりがなくすらっと読めるものになった。

「一見おかしくないようで、実はおかしな書き方」の文章を自分が書いているときって、古い油で揚げたフライを食べたときのような不快感があって気持ち悪かった。しかもその原因がわからないから余計に始末が悪い。だけど、気持ち悪さの原因を知ることができると、注意しながら書くことができて文が少しはましになる。

 

このように、豊富な実例を見ながら主人公の論文ヘタ夫くんと一緒に少しずつ歩みをすすめていくことで、一冊読み終えると自分もきれいな文を書けるような気になる。

…気になる、というだけで書けるようになったわけではないよ、ということも巻末に書かれていて、そうですねとしか言いようがないのですが。

 

それから、本のそこここからにじむ「文章を書くことに対する敬意」のようなものが印象深かった。この方は本当に文章を書くのが好きで、読むのが好きなのだなあと感じさせるポジティブな態度が一冊に通底していて、読んでいて気持ちがいい。

何かを批判する場面でも決して感情的にならずユーモアをもって行っている。批判するときって、大体その対象について腹が立っているので、うかつにすると建設的な批判じゃなくただの攻撃になる。それはだめだよと諭されているようで身につまされます。

 

こんな風に考えたい、書きたいなあと思わせられる、とても良い本でした。

文体がいわゆる「おやじ」っぽく親しみやすいので、読んでると移りそうになるのも…ヤバいっすね。

人ではない、人とコミュニケーションできるモノ(もののけデザイン1)

デザイン もののけデザイン

「人ではない、人とコミュニケーションできるモノ」がマイブームだ。とても面白いし、自分ができるかどうかはさておき、デザインしがいのあるテーマだと思う。

 

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人ならざるモノ

例えばそれはドラえもんポケモン初音ミクのようなキャラクターであったり、siri、ロボホンやユカイ工学のboccoのようなプロダクトであったりする。

人間そのものではないけれど、人間の言葉や心情を理解してコミュニケーションをとることができる、不思議なモノたち。その存在は多様で、時に可愛らしく時に恐ろしい。

彼らはフィクションとノンフィクションの境界に存在し、人間の想像力を動かして自分たちをデザインさせることで現実世界にアクセスする。言葉や行動で人間にはたらきかけ、生活を豊かにしたり混乱させたりする。妖怪や精霊と言われてきたものに近いような気もするし、少し違うようにも思う。

 

現在、人間の生活にはこのような存在が製品やサービスとして広く浸透しているわけではないけれど、先に挙げたsiriのような実例も存在する。そして、人工知能やロボティクスが急激に発展すると言われているこれから、そのようなモノはどんどん増え、発展していくだろう。人間は、「人間以外のモノ」との付き合い方を覚える必要があるし、またそれをデザインする機会を無数に与えられることになる。


マーク・ザッカーバーグによる人工知能 Jarvisの動画 こいつはかなり「人間ぽい」

 

 

まだ生まれていない、けれど想像されている

こうした「人ならざるモノ」は、先ほど書いた通り、まだプロダクトとしては開発の途上にあるようだ。しかし未来のユーザーである僕らは、その話を聞いただけで、あるいはプレゼンのビデオを見ただけで、「ふむふむ…なんとなく言いたいことは分かる…」と納得できる。なぜだろう?

それは、他の多くの技術と同じように、あらかじめ想像されたものだからだと僕は思う。人はドラえもんを作ることはまだ出来ないが、想像することはできるということだ。人間じゃないものとコミュニケーションすること、それらと一緒の生活を想像することは、太古の昔から行われてきたに違いない。世界中にある精霊や妖怪の伝説、おとぎ話は、人がそれを想像して形づくってきたという意味で、「人ならざるモノ」のデザインの試行と言えるかもしれない。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Hyakki-Yagyo-Emaki_Tsukumogami_1.jpg

妖怪百鬼夜行絵巻(wikipediaより)👹

 

最近見たものの中では、Twitterで拡散されていた「はるさめごはん」さんのポケモン漫画に、「ポケモンとの共存」が描かれていて面白い。彼らが実生活のなかに現れたときの人間の変化や心の機微が柔らかいタッチで繊細に描写されており、興味深く、可愛くて心に残っている。ゲンガーかわいい…

 

 

 

 

幽霊ではなく、動物でもないなにか

今まで回りくどく「人ならざるモノ」なんて言い方をしてきたけれど、他によい言葉はないだろうか。妖怪、おばけ、モンスター、鬼… いろいろ表現はあるけど、個人的にはいまひとつしっくりこない。「物の怪」みたいな感じかなあ。どうだろう。

人間の幽霊や人っぽい神さま、それからペットというのも、人間に近い人ならざるモノではあるのだけれど、イメージしているものとはちょっと違う。「人間そっくり」の存在とコミュニケーションするマナーは対人間のそれとかなり似ているだろうし、動物とのコミュニケーションはめちゃくちゃ高度にはなりづらい。(動物好きの方、すみません)

 

www.goodspress.jp

 

このインタビューで触れられているみたいな、「コダマ的なもの」「現代の座敷童」というコンセプトが、そもそも僕がこうしたモノに興味をもったきっかけだ。親しみやすく、応用の可能性が広がるすばらしいアイデアだと思う。もしできることなら、これを起点にして、少しでも新しいものごとを考えさせていただきたいです。

 

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そんなわけで、「物の怪」についてもうちょっと考えてみたい。(なんと続きます!)

考えつつ書きたいなと思っているのは以下のようなことだ。

 

・日本の八百万的神さま/妖怪観とものづくりの関係(スプツニ子さん、市原えつこさんの作品をみる)

・人が物の怪に恋するがごとく感情移入することについて(初音ミク、UNDERTALE)

・人の想像力を使ってものを「リッチでスマートにみせかける」

・可愛らしさの分析と実装

 

今年のsaidoでの作品に向けて、これらの考えをベースにものをつくるところまでいけたら良いな。こんな本読んだら良いよとか、面白い資料がありましたら教えて頂けると嬉しいです。がんばるぞ!