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工業デザインの練習帳

1988年生まれの工業デザイナー秋山慶太のブログです。

標本考

デザイン 考えごと



標本のことが気になっている。

ガラスと木でできた箱に収められた植物や鉱物、動物の骨格の周りに漂う、空気の流れがぴたりと静止しているような雰囲気。あれが気になる。自分の作品に関わるということもあって、最近標本をよく見る。その度に気になっている。(どう関わるかはまた後日)


気になると書いたのは、素直に「好き!」とは言えないからだ。標本は死んでいるし、色あせてしまっているし、乾ききっている。魅力を感じると同時に、なにか見てはいけないものを見てしまっているような居心地の悪さを感じる。
そのものの構造や特徴をわかりやすく説明するという目的の元に作られたはずの標本は、時にそれ以上の説得力を持っている。それは標本化された生物が発しているのか、それとも加工した誰かの偏執的な情熱がにじみ出ているのか。

標本は怖い。
けど気になる。




この前上京したときに、茗荷谷にある東大博物館の小石川分館に行ってきた。「驚異の部屋」と名付けられた常設展が凄まじく、動物、植物、建築模型、古い機械や計測器などとにかくあらゆる種類の標本が、洋館風の建築の中に陳列されている。
一つ一つのクオリティも高いし、量も多い。一見ばらばらに置かれているようで整理された配置や年代ものの什器も良く、展示のプレッシャーに圧倒されてしまう。驚異の部屋だなんてぴったりな名前をよく付けたものだと思う。







ちょっと話がそれるが、この博物館の中で小学校低学年ぐらいの男の子たちがDSをして遊んでいたのには驚いた。
確かに展示は無料だったし、建物の中はエアコンが効いていて涼しく椅子もあるが、これ怖くないのか。木彫りの人体模型とか骸骨とかあるのに。大人の僕も、なんか夢に出そうだなとか思いながら見ていたのに、まったくケロリとしてゲームができるなんてすごいぞ。
初めは気になっても、毎日のように通っているうちに気にならなくなるんだろうか。こんなところに通ってたら、絶対なにかしら影響を受けざるを得ないと思うんだけど。不思議だ。

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プロの作家でも標本が気になっている人はやはりいるようで、小説家の小川洋子やマンガ家の市川春子の作品には、度々標本や「標本的な空気」を見つけることができる。
このあたりもうちょっと深く読んで、また考察してみよう。